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2019年11月17日日曜日

Death Stranding 胎児の夢

※考察ではなく、レビューとクリア直後の感想のようなもの

人間の胎児は、母の胎内に居る十箇月の間に一つの夢を見ている。(『ドグラ・マグラ』夢野久作)

ゲーム

まずゲームとしてのレビューを書きたいと思う

SSS(ソーシャル・ストランド・システム)による動的な地形変化は、これまで単なる手段でしかなかったオープンワールドにおける「移動」を、ひとつのインタラクティブな「遊戯」として提示するものである

他者との双方向的な影響(建設とそれに対するいいね)によって形作られる世界は各プレイヤーにとって唯一無二のものとなり、その即興性と偶然性を兼ね備えた遊戯によりひとつの世界が創造されるのである

これはまさしくホイジンガがいうところの、「文化は遊びとして始まるのでもなく、遊びから始まるのでもない。遊びのなかに始まるのだ」ことであり、「真の文化は何らかの遊びの内容をもたずには存続してゆくことができない」という、遊戯の「創造する力」によるものであろう

デスストランディングにおけるSSSが現在のような形態であるのは、その特異な世界観によるところも多いかと思われる。例えば肉体(ハー)と魂(カー)の分離ビーチ、それらのビーチを繋ぐカイラルネットワークという設定がある

これらをメタ的に類推するのならば、プレイヤー(肉体、ハー)は、サム(魂、カー)として固有の作中世界(ビーチ)へ移行するが、そのビーチは他のビーチと繋がることでソーシャル・ストランド・システム(カイラルネットワーク)を構築し、その影響で双方向的に影響を受ける、という解釈が得られる

設定をシステムに落としこんだというよりも、システムが先在し、そのシステムに合わせた世界設定が考え出されたような印象を受けるが実際のところは分からない。また、クリアしたばかりなので私の知識があやふやな部分もあり、かなり雑な類推である

以上のように、デスストランディングを遊ぶということは、ゲームを体験すると同時にその世界に偶発的に起きる現象に立ち会うことでもある。プレイヤーは単にストーリーを追っていくのではなく、即興的なナラティブの発生に立ち会い、体験し、そして自らの物語として受容するのである

つまるところソーシャル・ストランド・システムとは、プレイヤーが創造的遊戯を行うための「場」である



ストーリー

では次にストーリーについて触れたいと思う

※ここからネタバレ全開なので注意

ゲームシステムにおける「繋がり(SSSやいいね)」が繋がりの良い面のみを強調していたのに対して、ストーリーにおける繋がりは、善でもあり悪でもある両義的なものとして描かれている

分断された人々を繋げて世界を一つにすることは「善」であるが、一方その繋がりに使用された「カイラルネットワーク」は生物を絶滅させるためにも利用される

これは現実のインターネットがまず軍事利用を目的として開発されたこと、その後の爆発的な普及により世界の人々を繋げたこと、さらにはネットを牛耳る巨大企業や、情報を統制しようとする国家の暗躍などのアナロジーのように思える

さっそく話が逸れたので筋を戻す



BB

BBは複数存在するが、画面に登場するBBは二人である

クリフのBBであるサム(BB-1)と、サムのBBであるルイーズ(BB-28)
※28は『AKIRA』のアキラと同じナンバーである(28号)

このうちサムはクリフとリサ・ブリッジズの息子である。サムはブリジットに銃撃された後にビーチでアメリによって臍帯を断たれて「帰還者」となっている

一方、ルイーズはキャピタル・ノット(K2)の集中治療室に脳死状態で眠るスティルマザーの娘とされる(デッドマン情報なのでやや怪しいが)

デッドマンの情報を信じるのならば、サムとは何の関係のない胎児である

たとえルーシーのお腹の子が女の子で、BBになれる28週目の少し前にルーシーがビーチに呼ばれていたとしても、そしてその少し後、ルイーズが28週目に入った頃にルーシーが自殺したとしても、BB-28がサムの娘であるという根拠はない(ルーシーの手記による)

ルーシーが自殺し、対消滅が起きたのは10年前の事である(デッドマンによると)。帰還者の娘であるルイーズが帰還者の性質を受け継いでいて、その事件の後から10年間ビーチに滞在した後にBB-28としてなぜか世界に戻ってきた、ということも考えられるがやはり根拠はない

実際のところ、BB-28がサムの娘であるのならばイゴールに貸与されずアメリが保護していただろう

以上のことから、私の個人的見解としてはBB-28はサムとは血縁関係にない無関係な胎児であったと考える

さて、では焼却炉での蘇生はいかに説明したものだろうか。その後にサムとルイーズは焼却炉から出てくるが、その時に降っている雨は時雨ではない。また、日が差して虹が映るが、その虹は逆さ虹ではなく、青色も確認できる

これはDS(絶滅現象としてのデスストランディング)が終わったことを示している

また、死者の蘇生に関してハートマンが次のように記している

DSによってこのプロセスが変化した。帰還者のような特殊な能力の持ち主か、よほど運が良くなければ、死者は甦らなくなってしまった」(ハートマン「古代エジプトの死生観とネクローシスのこと」)


つまり、DSが終わったことでビーチ(個人のビーチ)にいった魂が肉体に戻ってこられるようになっており、ルイーズは蘇生することが出来たのである



ビッグファイブ



空に浮かぶ五人の人影は五人の絶滅体なのか、それともサムが絆を繋げた五人(フラジャイル、デッドマン、ハートマン、ロックネ(ママー)、ルー)なのかという問題

後者だとメンバーの人選が難問である。ロックネとママーを一人として見るか、二人として見るならばルーは外れるが、デッドマンの説明によるとサム救出にはルーも関わっている

とすると、ロックネとママーを一人として数え、フラジャイル、デッドマン、ハートマン、ロックネ(ママー)、ルーとなるが、五人の人影のなかに胎児型の人影は確認できない(ルーの代わりにダイハードマンが入ることも考えられるが、繋がりというほど絆が強くないのと、ルーを数に入れない理由が思いつかない)

ムービー中、デッドマンがサム救出に関わった者として挙げるのは、ハートマン、ママー、ロックネ、デッドマン、フラジャイル、ルー、ダイハードマン、ブリジット(臍帯)である

また空に浮く人影とは別に、海の中でデッドマンとルーが直接姿を現している。デッドマンによると、サムのビーチに飛んだのはデッドマンとルーとのことだから、五人の人影が見るのは少々おかしい

五人の人影は実体ではなく、絆の象徴として現われているとも考えられるが、空に浮く人影はオープニング、時雨を避けて洞窟に逃げる場面ですでに登場している。当然ながら五人と繋がりを持つ前のことである

カイラルネットワークやビーチが時間から切り離されていることを考えると、未来の表象が時雨に白い影として映っているということも、一種の絶滅夢だったとも考えられる



また五人というと、焼却炉に降りてくる「輝く胎児型BT」の数も五人のように見える


ただしこの場面の遠景では五人以上いるように見えることからあまり関係がないのかもしれない




絶滅体

絶滅体といっても、これまでのそれは臍帯のある恐竜やらアンモナイトやらマンモスやらアイスマンであり、アイスマンを除いて人型からはかけ離れている

ここでまた人型である理由を考えなければならない

単純に、絶滅体はその時代の最も繁栄している生物の形を成し、それは過去にいた五体の絶滅体も当てはまる、のかもしれない。

というのも、「彼らの本当の目的は世界の消滅」(アメリ)であったのだが、消滅させることはできず、絶滅からの新たな種の誕生を許してしまっている

役割を果たせずさりとて消え去ることもできず、五体の絶滅体は絶滅体ビーチに存在し続けているのである。だが、絶滅体としての性質は失っておらず、その特性のうち「その時代の最も繁栄している生物の形を成す」だけは律儀に守っている、と考えられなくもない

ゆえに、(六回目のデスストランディングがラスト・ストランディングであることは明言されているが)、もし七回目のデスストランディングがあったとして、その時の絶滅体が猫型であったら、空に浮く六匹の猫影が見えるのかもしれない

正直、五体の人影が人型である理由は分からない

さて、ではなぜそもそもサムは五体の絶滅体を見ることができるのか。エンディングでアメリが次のように語っている

「ラスト・ストランディングを熾すには“絶滅体”の一部あなたが必要だった」(アメリ)

つまりサムも絶滅体なのである。同じ絶滅体として五体とは繋がっており、ゆえに見ることができるのである


※五人の人影については、どちらともとれるような演出であることから確固たる結論は出せない



胎児の夢

世界を消滅させようという宇宙の意志とは何か

それはリグ・ヴェーダにおける世界を夢見る「黄金の胎児」(ヒラニヤ・ガルバ)である
眠りから覚めると世界を終わらせるというマアナ=ユウド=スウシャイ(『ペガーナの神々』)である
その影響を受けたクトゥルフのアザトースである
また世界の歴史を見続けるドグラ・マグラの胎児である

胎児の誕生は夢から覚めることである。世界を夢見る胎児は、夢という世界を消滅させることではじめて、夢から覚めて生まれることができるのである

この宇宙は胎児の見る夢であり、生物の進化を辿ってきた夢は、進化が人に到達するところで終わらなければならないのである

ラスト・ストランディングとは、胎児が誕生するために見る、最後の夢なのである



胎児の夢
 人間の胎児は、母の胎内に居る十箇月の間に一つの夢を見ている。 
 その夢は、胎児自身が主役となって演出するところの「万有進化の実況」とも題すべき、数億年、乃至、数百億年に亘るであろう恐るべき長尺の連続映画のようなものである。 
すなわちその映画は、胎児自身の最古の祖先となっている、元始の単細胞式微生物の生活状態から初まっていて、引き続いてその主人公たる単細胞が、次第次第に人間の姿……すなわち胎児自身の姿にまで進化して来る間の想像も及ばぬ長い長い年月に亘る間に、悩まされて来た驚心、駭目すべき天変地妖、又は自然淘汰、生存競争から受けて来た息も吐かれぬ災難、迫害、辛苦、艱難に関する体験を、胎児自身の直接、現在の主観として、さながらに描き現わして来るところの、一つの素晴しい、想像を超越した怪奇映画である。
……その中には、既に化石となっている有史以前の怪動植物や、又は、そんな動植物を惨死、絶滅せしめた天変地異の、形容を絶する偉観、壮観が、そのままの実感を以て映写し出される事はいう迄もない。引続いては、その天変地妖の中に、生き残って進化して来た元始人類から、現在の胎児の直接の両親に到るまでの代々の先祖たちが、その深刻、痛烈な生存競争や、種々雑多の欲望に駆られつつ犯して来た、無量無辺の罪業の数々までも、一々、胎児自身の現実の所業として描き現わして来るところの、驚駭と戦慄とを極めた大悪夢でなければならぬ事が、次に述べる通りの「胎生学」と「夢」に関する二つの大きな不可思議現象を解決する事によって、直接、間接に立証されて来るのである。(『ドグラ・マグラ』夢野久作)(改行引用者)


蛇足

いくつかの解釈の違いはあれどもストーリーに関しては作中でほとんど語られているので、考察の必要はないと思われる

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