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2018年12月16日日曜日

RDR2 赤い死の贖い

アーサーの物語

 イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、血を食べるならば、わたしはその血を食べる人に敵して、わたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう。
 肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。(レビ記 5章10-11)

 Redemptionは「贖(あがな)い」を意味する英単語である。

 また旧約聖書では、殺害者に対する報復を行なう近親者のことを「血の贖い人」と呼ぶ(民数記 35章)
 RDR(無印)におけるRedemptionとはこちらの意味だと思われる

 さてRed Dead Redemptionを直訳すると「赤い死の贖い」となる

 RDR2における「赤い死」とはまず第一に血を吐き続ける病、つまりアーサーの「結核」のことを指す

 物語の終盤、これまでの生き方に疑問を持ち始めたアーサーは「赤い血(赤い死)を吐きながら」これまで犯した罪を贖おうとする。その血はアーサーの命を象徴するものであり、彼は自分の命を捧げることで贖おうとするのである。「血は命であるがゆえ」に、「あがなうことができる」からである。彼は「おのれの血」を捧げる以外に贖罪する方法を知らなかったのだ

 一般に宗教行事は「血」を好むものであるが、とくにユダヤ・キリスト教は「血液」に対する反応が過敏で、それは聖杯伝説や吸血鬼というものを生み出してきたが、両者の根本にあるのがキリストの磔刑である。イエス・キリストの血が人類の罪を贖うものとされ、その奇蹟の力を信じるがゆえに「聖杯伝説」が誕生し、また「血液」に対する狂熱のゆえに「吸血鬼」が畏れられてきたのである
 
 ここには「血」に対する信仰のようなものすら感じられるが、その延長線上に「血を吐きながら贖うアーサー」という人物像が生まれたと考えられるのである

 つまり「赤い死の贖い」とは「結核(赤い死)」によって血を吐きながら、その血によって贖おうとするアーサーの行為そのものである

 作中アーサーは死んでもおかしくはない、というより生きているのが不思議なぐらいの吐血を繰り返しながら、それでもクライマックスまでは死なない。普通ならばとうに死んでいておかしくはないほどに病状が進んでいるにもかかわらず、立ち続け銃を構え、敵を殺し続けるのである

 そうした「不可解な生」の代償が「結核による吐血」なのである。血を吐く(生命を捧げる)ことで死までの猶予を与えられ、アーサーはその「不可解な生」を罪を贖うために使い果たしたのである

 この「不可解な生」を象徴するのが、牡鹿と狼の幻覚なのである。アーサーはすでに人として死に、ある種の精霊として生きている。そうした精霊を象徴するものとしてアーサーが視るのが、牡鹿と狼なのである。

 アメリカ先住民の神話では動物と人間との境は曖昧で、かつて動物は、動物であると同時に人間でもあったとされ、また、人間から動物にあるいは動物から人間にといった変身もあたりまえのことのように行なわれる

 例えばブルーレ・スー族の神話『白いバッファーローの女』では、文化を伝えた文化英雄である「白いバッファーローの女」は、白いバッファローになったと語られる

 またホワイト・リバー・スー族の『兎少年』という神話では「かつて動物は人間に姿を変えることができたし、人間も動物になれた」と語られる

 例を挙げていくときりがないので打ち切るが、アーサーの視た精霊とは上記のような動物とも精霊とも判断のつかない曖昧な存在だと思われる

 そして、その動物精霊はアーサー自身でもある(名誉値によって牡鹿か狼に象徴が変わることから)

 動物に変身したアーサーをアーサー自身が視ているのである。いわば臨死体験的な幻視であり、もっというのならば、シャーマンが陥る忘我状態(トランス)にあるといえる

 この忘我状態を引き起こし促進させたのは、結核による生命の衰弱と、「雨の到来」から渡された薬草であろう(作中、重要な感じで渡されるにもかかわらず、何故かそれ以降その薬草の存在が触れられることはない)

 アメリカ先住民の祈禱師はこうした忘我状態を引き起こす植物の知識に通じていたし、実際彼らの神話には、多くの聖なる草が登場する。それらは普通、喫煙によって祈禱師を天上へと導くとされていた。

 話がかなり逸れたが、つまるところ牡鹿や狼の突然の登場は、「アーサーの死」を肉体や精神の消滅によって表現するのではなく、人間から動物的精霊への移行というアメリカ先住民的な世界観によって表現したものだと思われる

 彼らにとって死はたんなる存在様態の移行にすぎず、彼らの魂は精霊的な動物となってアメリカの大地に住み続けるのである



アーサー王の死

さて、『旧約聖書では殺害者に対する報復を行なう近親者のことを「血の贖い人」と呼ぶ(民数記 35章)』と既述した
 
 アーサーの物語におけるRed Dead Redemptionとは「赤い死の贖い」であり、それは結核による血を象徴し、それによる贖いの物語であったが、アーサーの死後はその意味が変わる、というより元に戻る

 元とはもちろん「血の贖い人」の意味である

 操作キャラがジョンに変わり、マイカに報復するための物語となる

 が、マイカに報復するのはジョンではない

 ここにダッチが最後にマイカを撃った理由がある

 作中におけるダッチの描写があまりにアーサーに厳しいものだから忘れがちだが、ダッチにとってアーサーは家族のようなものである

 クライマックスでジョンに「ここで何してるんだ」と訊かれ、ダッチは「おまえと一緒だろうな」と答える。この答えこそ、ダッチがマイカに報復するために来たのだと言うことを直接的に示している

 ただしダッチの報復は、仇を取ってやろうとかアーサーの弔いのためにというような積極的な理由ではない。おそらく彼は当初、アーサーの死を理解できなかったであろう。何故アーサーは死んだのか、何故計画が狂ったのか。マイカと別れた後、ダッチは考え続けた。だが、彼の脳裏には自分が悪かったという論理は存在しないのである。

 そして彼は結論づける

 計画が狂ったのはアーサーが死んだからであり、その死に対してマイカは責任がある。なぜならアーサーを最後に痛めつけていたのはマイカであったのだから

 すさまじく短絡的な論理であるが、ダッチはそういう人間である。状況が悪化しても自分が悪いとは考えず、周囲の人間が悪いのだと決めつける。その矛先はジョンにも向けられるが、アーサーを慕うジョンには今のところ報復するつもりはなかった

 彼が求めたのはアーサーを殺した者に報復することだった
 報復さえ果たせば何もかもが元に戻る、とすら考えていた

 だからこそダッチは直接マイカに聞きに行ったアーサーの死に責任があるか?、と(幼さすら感じさせる行動だが、ダッチは基本的に子どもをそのまま大人にしたような人格をしている。その裏表のなさが奏功する場合もあれば裏目に出ることもある)

 マイカは言い逃れをしただろう。直接手を下したわけでもなく、実際アーサーの死因は結核による衰弱死だ。
 ダッチは何の疑いもせず、それを信じたのかもしれない。何しろ世界が自分を中心に廻っている男である。腹心のマイカが自分を騙すとは考えもしないのである(そこが魅力であり欠点でもあるが)

 ちょうどそこへジョンがやって来た
 銃を向け合っての口論の後、ジョンが言う「俺を殺しても解決しない」と

 ダッチの中でジョンはただの裏切りものである。アーサーの死を担えるほど、その喪失を贖えるほどの価値はない。自分がもう一度やり直すためには、アーサーの死を贖えるほどの生け贄が必要である。そう考えたダッチは、ただ単純にすべてを仕切り直すためだけに、マイカを撃ったのである

 そこには報復を果たした歓喜もなかった。そこにいるジョンはもはや部下でも裏切り者でも無く、仕切り直したダッチにとっては見知らぬ他人にしか見えなかった

 山小屋に残された忌まわしい過去を象徴するものであり、新しく生まれ変わった今の自分には必要ない

 もはやこの場所にいる理由も必要もない。さっさと山を下りよう

 山小屋の金に意を向けず、ジョンを見知らぬ他人のような眼で見て、さっさと山を下りていくダッチの心理はこういったものであった

 ただしダッチは一つのことだけはやり遂げた

 それこそが、マイカにその血をもってアーサーの死を贖わせること、Red Dead Redemption(赤い血の贖い)である



蛇足

言うまでもなく、たんなる解釈の一つに過ぎない

 一つだけ付け加えるとすれば、ゲーム内に登場するアメリカ先住民の居留地は名を「WAPITI」というが、これはアメリカインディアンのショーニー族の言葉(Shawnee)で「白い尻」を意味するワーピティ(waapiti)から由来する言葉で、「アメリカアカシカ」を意味する(wikipedia)
 アーサーが視る牡鹿がおそらくこの「アメリカアカシカ」であろうと思われる

 大型の鹿は一般的にエルクと呼ばれるが、アメリカ先住民においてエルクとは、最も神聖かつ重要な動物のひとつである。

 ワスコ族の『失われたエルクの魂が住む湖』という神話には、死んだ動物たちの精霊が住むとおいう〈失われた精霊たちの湖〉が登場する
 
 青く静かな湖の底には、死んだ動物たちの精霊が数えきれないほどいる。澄んだその湖面に反射して映し出されるフッド山の姿は、まるで失われた精霊たちに捧げるために立てられた慰霊碑のようだ。(『アメリカ先住民の神話伝説 下』青土社、249ページ)

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