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2018年12月20日木曜日

Death Stranding 考察12 Archillect 12/21追記

12/21追記
Archillectの創作者であるPak氏(Twitter)により、ArchillectはDSのマーケティングとは無関係ということが明らかにされた

彼によると204863枚目の画像およびリンクは、彼が設計したものだという(それ以外の意図的な関与は否定しているが)

簡単に言うと、DSのコミュニティを巻き込んだArchillectの実験だったようだ

※1 ArchillectはSNS上で盛り上がっている話題と画像をArchillectの意志のもとにピックアップする人工知能である。その点からいえばDSコミュニティがArchillectとDSを同時に話題にすればするほど、ArchillectはDSに関係する画像を投稿するようになっていく。この傾向に目をつけたPak氏が、204863枚目のイベントを仕込んだ、ということらしい

※2 このタネ明かしを追記するか悩んだのだが、タネを明かすまでがこのARGの範囲だと考え記すことにした(Reddit民もあんまり怒ってないしね。皆うすうす仕込みだと感じつつあえて参加していた感がある)

Archillect

Archillect(Archive+Intelligent)とは、ソーシャルメディア内の画像を特定の意志のもとに集めて共有する人工知能(AI)である(詳細はArchillectのFAQ

このArchillect、一見DS(Death Stranding)と無関係であるように思われる

だが、いつの頃からかDSに関連する画像を投稿し始め、それに気づいたRedditのARG民が注目し始めた、というのが事の始まりの様だ
ARG= Alternate Reality Game, 代替現実ゲーム

さて小島プロダクション制作の「P.T.」というゲームがある
このホラーゲームには様々な謎があり、いまも考察がなされているが、その謎のひとつに「204863」という数列が存在する

昨夜、Archillectが「204863」枚目の画像を投稿した、というのがRedditにおける盛り上がりの原因である(204863に近づくにつれ小島監督に関連する画像が投稿されていった)

「204863」枚目に投稿された画像が以下のものである(Twitterに投稿された大きな画像


Archillect上のこの画像には「小島プロダクション」へのダイレクトリンクが張られており、クリックすると小島プロダクションのWEBサイトに飛ばされるようになっている

このカラフルなドットの画像小島プロダクションとの間に何らかの関連性があると考え、解読を試み、そしてそれに成功したと報告したのが下記のスレッドである

I've done it - the code is decyphered
(または少し異なる詳細な説明 Was trying to decode as binary code

詳細はリンク先のスレッドを読んでほしいが、ドットのうち色彩の有るものを1黒を0とし、それをバイナリコードに変換実行すると次のようなメッセージが吐かれたという

uoyodmaiohwwonktnodllitsuoyetalooteruoy

そしてこの意味不明な文字列を反転させる(キラルのように)と、

youretoolateyoustilldontknowwhoiamdoyou
あるいは
You're too late. You still don't know who I am do you?」と読めるという

下の英文を日本語にすると
あなたは遅すぎます。あなたはまだ私があなたのことを知らないのですか?
と訳せるが、これはトレーラーのリンゼイ・ワグナーのセリフ

遅すぎたわ。私が誰か、まだわからない?
に対応すると思われるというのだ

ArchillectのFAQにおいて、Archillectとはデジタルミューズ、つまりデジタルの女神と言われていることから、リンゼイ・ワグナーはArchillectの原型であり、彼女自身、AIなのではないか、とも考察されている

信じるか信じないかはあなた次第


蛇足

Archillect関連は流し読みしていただけなので、正しく説明できているかはなはだ自信がない。その正誤についての判断は保留する。

2018年12月19日水曜日

Death Stranding 考察11 『神曲』

Reddit興味深い考察が載っていたので紹介する
詳細は『Death Stranding vs Aligheri L'inferno (1911)』を読んでもらうとして、大雑把にいうと、1911年に製作された『L'inferno』という映画にDeath Strandingの構図と似た映像があるというものだ

該当スレには画像もあるので必要ないと思ったが、別のソースから引用した比較画像を作成してみた。それが以下の画像である。なお画像は左右反転している。



オマージュなのか偶然なのか、事の正否には触れない

また該当スレのコメントにDeath StrandingのトレーラーにM1911という拳銃が登場しており、この映画を示唆している、という情報があった。それについても検証してみたが、真偽不明というのが正直なところだ

M1911ではないように思える。しかしながら昨今は権利関係上、実銃を登場させることが難しくなっており、M1911をモデルとした銃ということなのかもしれない。というか、そもそもコメントが指摘しているM1911がこの銃であるという確信がない(わたしの記憶にない別の場面である可能性も)


『神曲』

ともあれ、Death Strandingと『神曲』に何らかの関連性がある、という考察には「あるかもしれない」というのが自分の印象である

まず、映画の場面であるが、これはダンテがウェルギリウスに先導されて地獄へ向かうシーンである。つまり洞窟を抜けた先が地獄なのである。ということは、サムがいる場所は地獄的な場所であることを示唆している

『神曲』の「地獄篇」には九つの圏(階層)が存在するが、サムがいるのは気候的に考えて第九圏、「コキュートス」と呼ばれる氷地獄であろう

コキュートスは裏切り者を罰する地獄であるが、ここに四人の罪人が繋がれている(参考『神曲』wikipedia)
第一の円 カイーナ Caina - 肉親に対する裏切者 (旧約聖書の『創世記』で弟アベルを殺したカインに由来する)
第二の円 アンテノーラ Antenora - 祖国に対する裏切者 (トロイア戦争でトロイアを裏切ったとされるアンテーノールに由来する)
第三の円 トロメーア Ptolomea - 客人に対する裏切者 (旧約聖書外典『マカバイ記』上16:11-17に登場し、シモン・マカバイとその息子たちを祝宴に招いて殺害したエリコの長官アブボスの子プトレマイオスの名に由来するか)
第四の円 ジュデッカ Judecca - 主人に対する裏切者 (イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダに由来する)
そしてもう一人、第九圏のもっとも奥深くに幽閉されているのが魔王ルチフェロ(サタン)である

上記の四人に魔王を足す「五人」ということになるがこれはDeath Strandingにおいてボイドアウト後に空中に浮かぶ「五人」と照応する

さらにいえば、魔王ルチフェロは口の中で、ユダ、ブルータス、カッシウスの三人をかみ砕いているが、これはボイドアウトを引き起こす直接の結果となった黒い巨人が人間を喰らうという現象と照応していると考えられる

さらに地獄の中には煮え立つ瀝青(アスファルトの原料、黒い液体状のもの)に漬けられるというものもあるが、これは時雨ならびにそれが溜まった黒い水たまりのモチーフなのではないかと考えられる

と、このようにDSのなかに『神曲』の影響を見ると様々な事象に説明がつけられることとなる。

ただし、サムのいる場所=地獄そのものというわけではないように思われる。イメージとしては、地球に隣接した別次元に「氷地獄」が存在し、カイラル濃度が高まることで、二つの世界が重なり、結果、地球に地獄が顕現してしまうというものだ

地球と地獄とは、薄い次元の膜を隔てて隣在しており、地獄の影響を受けて地球は寒冷化し、また一部は融合してしまっているのではないだろうか

そしてまた永遠の責め苦を与えるという性質上、地獄には時間がない。こうした時間的な異常時雨の、触れたものの時間を進ませる、という性質をもたらしているのではないだろうか

また地獄となった場所には「死」が存在しない。カイラル濃度が高まり、地獄と融合した時空にいる人間は「死ぬことができなくなる」

付け加えるのならば、集英社文庫版の『神曲』を読んだ人ならば周知であるが、そのをDSのトレーラーに引用されたウィリアム・ブレイクは『神曲』の場面を描いた絵を何十枚も描いている


『ファウスト』

古典繋がりでいうのならば、『ファウスト』的なモチーフも散見される

まず、赤ちゃんを連れて旅をするサムの姿だが、これはホムンクルスに導かれて旅をするファウスト博士のイメージと重なる

このファウスト博士、物語の序盤でメフィストフェレスによって若返らされている

はじめ老人であったファウストがメフィストフェレスと遭遇し、若返ったあげく、赤ん坊(ホムンクルス)に先導されてをする

この一連のプロットをDSにたとえるのならば、「デル・トロがマッツと遭遇し、若返った姿となり、やがて赤ちゃんと共に旅をする」となる

とはいえ、デル・トロとサムでは顔の骨格からして違うので科学的考証を無視しない限り実現することはないので、おそらく違うだろう(それでもマッツならなんとかしてくれそう)


運命の女

『神曲』と『ファウスト』を雑に概略すると、失った運命の女を再び手に入れるために旅をする、というような感じになる。ダンテはベアトリーチェを、ファウストはグレートヒェンを追いかけまわし、彼女を失うや彼女の代わりを探しに行くが、ついに得られない

サムにとってのベアトリーチェやグレートヒェンとは、あの写真の女性であろう
何らかの事故か事件により最愛の女性と子供を失ったサムが、失ったものを再び手に入れるために放浪する、というのがDSにおけるサムの基本的な立ち位置なのではないだろうか

放浪の途中でブリッジスと出会ったサムはやがて伝説の運び屋と呼ばれるようになり、地獄の最深部(物語の核心部)へと足を踏み入れていく……という話なのかもしれない

またサムの物語以前には、ファウストとメフィストフェレスの出会いに近い出来事があったと思われる。現時点でその有力候補はデル・トロとマッツであるが、デル・トロがサムである、とは一概に断言できない

ちなみにリンゼイ・ワグナー/赤ちゃんは「先導役」たるウェルギリウス/ホムンクルスの役割であろうか(その存在がサムを核心へと導く)

レア・セドゥはやや複雑なのだが、『神曲』の「天国篇」において、先導役をウェルギリウスから交代したベアトリーチェだろうか(この交代はDSにおいては、リンゼイ・ワグナーの計画からサムが離反することを表すのかもしれない)

ベアトリーチェが二人いることになるが、死んだ妻とレア・セドゥとの間でサムが悩む的な展開になるのかもしれない

蛇足

当然であるが作品の性質上、「地獄」だとか「魔王」だとかは、SF的な言葉(ターム)に置き換えられると思われる

また、あくまでもRedditの考察に触発されて古典の構造をDSに当てはめただけの代物であり、映画的なものの影響を無視しているため、正否について責任はもてない(かなり悪乗りした考察である)





2018年12月16日日曜日

RDR2 赤い死の贖い

アーサーの物語

 イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、血を食べるならば、わたしはその血を食べる人に敵して、わたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう。
 肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。(レビ記 5章10-11)

 Redemptionは「贖(あがな)い」を意味する英単語である。

 また旧約聖書では、殺害者に対する報復を行なう近親者のことを「血の贖い人」と呼ぶ(民数記 35章)
 RDR(無印)におけるRedemptionとはこちらの意味だと思われる

 さてRed Dead Redemptionを直訳すると「赤い死の贖い」となる

 RDR2における「赤い死」とはまず第一に血を吐き続ける病、つまりアーサーの「結核」のことを指す

 物語の終盤、これまでの生き方に疑問を持ち始めたアーサーは「赤い血(赤い死)を吐きながら」これまで犯した罪を贖おうとする。その血はアーサーの命を象徴するものであり、彼は自分の命を捧げることで贖おうとするのである。「血は命であるがゆえ」に、「あがなうことができる」からである。彼は「おのれの血」を捧げる以外に贖罪する方法を知らなかったのだ

 一般に宗教行事は「血」を好むものであるが、とくにユダヤ・キリスト教は「血液」に対する反応が過敏で、それは聖杯伝説や吸血鬼というものを生み出してきたが、両者の根本にあるのがキリストの磔刑である。イエス・キリストの血が人類の罪を贖うものとされ、その奇蹟の力を信じるがゆえに「聖杯伝説」が誕生し、また「血液」に対する狂熱のゆえに「吸血鬼」が畏れられてきたのである
 
 ここには「血」に対する信仰のようなものすら感じられるが、その延長線上に「血を吐きながら贖うアーサー」という人物像が生まれたと考えられるのである

 つまり「赤い死の贖い」とは「結核(赤い死)」によって血を吐きながら、その血によって贖おうとするアーサーの行為そのものである

 作中アーサーは死んでもおかしくはない、というより生きているのが不思議なぐらいの吐血を繰り返しながら、それでもクライマックスまでは死なない。普通ならばとうに死んでいておかしくはないほどに病状が進んでいるにもかかわらず、立ち続け銃を構え、敵を殺し続けるのである

 そうした「不可解な生」の代償が「結核による吐血」なのである。血を吐く(生命を捧げる)ことで死までの猶予を与えられ、アーサーはその「不可解な生」を罪を贖うために使い果たしたのである

 この「不可解な生」を象徴するのが、牡鹿と狼の幻覚なのである。アーサーはすでに人として死に、ある種の精霊として生きている。そうした精霊を象徴するものとしてアーサーが視るのが、牡鹿と狼なのである。

 アメリカ先住民の神話では動物と人間との境は曖昧で、かつて動物は、動物であると同時に人間でもあったとされ、また、人間から動物にあるいは動物から人間にといった変身もあたりまえのことのように行なわれる

 例えばブルーレ・スー族の神話『白いバッファーローの女』では、文化を伝えた文化英雄である「白いバッファーローの女」は、白いバッファローになったと語られる

 またホワイト・リバー・スー族の『兎少年』という神話では「かつて動物は人間に姿を変えることができたし、人間も動物になれた」と語られる

 例を挙げていくときりがないので打ち切るが、アーサーの視た精霊とは上記のような動物とも精霊とも判断のつかない曖昧な存在だと思われる

 そして、その動物精霊はアーサー自身でもある(名誉値によって牡鹿か狼に象徴が変わることから)

 動物に変身したアーサーをアーサー自身が視ているのである。いわば臨死体験的な幻視であり、もっというのならば、シャーマンが陥る忘我状態(トランス)にあるといえる

 この忘我状態を引き起こし促進させたのは、結核による生命の衰弱と、「雨の到来」から渡された薬草であろう(作中、重要な感じで渡されるにもかかわらず、何故かそれ以降その薬草の存在が触れられることはない)

 アメリカ先住民の祈禱師はこうした忘我状態を引き起こす植物の知識に通じていたし、実際彼らの神話には、多くの聖なる草が登場する。それらは普通、喫煙によって祈禱師を天上へと導くとされていた。

 話がかなり逸れたが、つまるところ牡鹿や狼の突然の登場は、「アーサーの死」を肉体や精神の消滅によって表現するのではなく、人間から動物的精霊への移行というアメリカ先住民的な世界観によって表現したものだと思われる

 彼らにとって死はたんなる存在様態の移行にすぎず、彼らの魂は精霊的な動物となってアメリカの大地に住み続けるのである



アーサー王の死

さて、『旧約聖書では殺害者に対する報復を行なう近親者のことを「血の贖い人」と呼ぶ(民数記 35章)』と既述した
 
 アーサーの物語におけるRed Dead Redemptionとは「赤い死の贖い」であり、それは結核による血を象徴し、それによる贖いの物語であったが、アーサーの死後はその意味が変わる、というより元に戻る

 元とはもちろん「血の贖い人」の意味である

 操作キャラがジョンに変わり、マイカに報復するための物語となる

 が、マイカに報復するのはジョンではない

 ここにダッチが最後にマイカを撃った理由がある

 作中におけるダッチの描写があまりにアーサーに厳しいものだから忘れがちだが、ダッチにとってアーサーは家族のようなものである

 クライマックスでジョンに「ここで何してるんだ」と訊かれ、ダッチは「おまえと一緒だろうな」と答える。この答えこそ、ダッチがマイカに報復するために来たのだと言うことを直接的に示している

 ただしダッチの報復は、仇を取ってやろうとかアーサーの弔いのためにというような積極的な理由ではない。おそらく彼は当初、アーサーの死を理解できなかったであろう。何故アーサーは死んだのか、何故計画が狂ったのか。マイカと別れた後、ダッチは考え続けた。だが、彼の脳裏には自分が悪かったという論理は存在しないのである。

 そして彼は結論づける

 計画が狂ったのはアーサーが死んだからであり、その死に対してマイカは責任がある。なぜならアーサーを最後に痛めつけていたのはマイカであったのだから

 すさまじく短絡的な論理であるが、ダッチはそういう人間である。状況が悪化しても自分が悪いとは考えず、周囲の人間が悪いのだと決めつける。その矛先はジョンにも向けられるが、アーサーを慕うジョンには今のところ報復するつもりはなかった

 彼が求めたのはアーサーを殺した者に報復することだった
 報復さえ果たせば何もかもが元に戻る、とすら考えていた

 だからこそダッチは直接マイカに聞きに行ったアーサーの死に責任があるか?、と(幼さすら感じさせる行動だが、ダッチは基本的に子どもをそのまま大人にしたような人格をしている。その裏表のなさが奏功する場合もあれば裏目に出ることもある)

 マイカは言い逃れをしただろう。直接手を下したわけでもなく、実際アーサーの死因は結核による衰弱死だ。
 ダッチは何の疑いもせず、それを信じたのかもしれない。何しろ世界が自分を中心に廻っている男である。腹心のマイカが自分を騙すとは考えもしないのである(そこが魅力であり欠点でもあるが)

 ちょうどそこへジョンがやって来た
 銃を向け合っての口論の後、ジョンが言う「俺を殺しても解決しない」と

 ダッチの中でジョンはただの裏切りものである。アーサーの死を担えるほど、その喪失を贖えるほどの価値はない。自分がもう一度やり直すためには、アーサーの死を贖えるほどの生け贄が必要である。そう考えたダッチは、ただ単純にすべてを仕切り直すためだけに、マイカを撃ったのである

 そこには報復を果たした歓喜もなかった。そこにいるジョンはもはや部下でも裏切り者でも無く、仕切り直したダッチにとっては見知らぬ他人にしか見えなかった

 山小屋に残された忌まわしい過去を象徴するものであり、新しく生まれ変わった今の自分には必要ない

 もはやこの場所にいる理由も必要もない。さっさと山を下りよう

 山小屋の金に意を向けず、ジョンを見知らぬ他人のような眼で見て、さっさと山を下りていくダッチの心理はこういったものであった

 ただしダッチは一つのことだけはやり遂げた

 それこそが、マイカにその血をもってアーサーの死を贖わせること、Red Dead Redemption(赤い血の贖い)である



蛇足

言うまでもなく、たんなる解釈の一つに過ぎない

 一つだけ付け加えるとすれば、ゲーム内に登場するアメリカ先住民の居留地は名を「WAPITI」というが、これはアメリカインディアンのショーニー族の言葉(Shawnee)で「白い尻」を意味するワーピティ(waapiti)から由来する言葉で、「アメリカアカシカ」を意味する(wikipedia)
 アーサーが視る牡鹿がおそらくこの「アメリカアカシカ」であろうと思われる

 大型の鹿は一般的にエルクと呼ばれるが、アメリカ先住民においてエルクとは、最も神聖かつ重要な動物のひとつである。

 ワスコ族の『失われたエルクの魂が住む湖』という神話には、死んだ動物たちの精霊が住むとおいう〈失われた精霊たちの湖〉が登場する
 
 青く静かな湖の底には、死んだ動物たちの精霊が数えきれないほどいる。澄んだその湖面に反射して映し出されるフッド山の姿は、まるで失われた精霊たちに捧げるために立てられた慰霊碑のようだ。(『アメリカ先住民の神話伝説 下』青土社、249ページ)

2018年12月9日日曜日

デラシネ ローレンス/ミコラーシュ/ゲールマン

女性陣の名前は小ネタで触れたので、次に男性陣の名前について考察してみようと思う

ルーリンツ

ルーリンツ(ハンガリー語)の英語形はローレンスである

ニルス

ニルスという名はデンマーク語形であり、これを英語形するとニコラウスとなる
参考(ニコラウス・ステノ wikipedia)

そしてこのニコラウスチェコ語形にしたのが、ミコラーシュとなる

ハーマン

以前に「ハベル」という名前についての記事を書いた
ガリア戦記で有名な「ガリア」 とは「ケルト人の地」を意味する言葉。「ケルト人」を意味する英語名はガル(Gall)このガルがチェコ語に変化するとハベル(Havel、Habel)になる。(小ネタいろいろ」)
つまり英語形(ラテン語の間違い)からチェコ語にかわる際には「G」と「H」の置換が起きる

さて、ハーマンの綴りは「Herman」だが、この「H」が「G」に置き換わるとどうなるか

German」「ゲールマン」となるのである

※ゲールマンの正しい綴りは「Gehrman」であるが、ゲールマンのモチーフというか名前の元ネタはゲルマン民族のゲルマン(German)だと思っているので(あるいは「ゲール人の男」という意味かもしれない)、むしろGermanからHermanとGehrmanに分かれたのではないかと考えている


蛇足

小ネタに追加しようとも考えたのだが、過去の記事をあれこれいじるのがあまり好きではないので、新しく記事にした