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2019年6月16日日曜日

Sekiro 考察39 水生村

水生村というのはSEKIROを象徴するような土地であり、であるがゆえに一筋縄ではいかないほどに複雑である

そこでまずは水生村の現況から整理していきたいと思う


隠し森の僧侶

水生村の異常事態を伝える最初の人物は、隠し森の観音菩薩像の前にいる僧侶である


僧侶:…おお、お主、ごほっ、ごほっ…
もし、御仏の道を知るものならば…
仏敵を討ってはくれまいか 
隻狼:仏敵だと?
僧侶:そうじゃ… ごほっ、ごほっ…
あれは、この先の廃寺に籠り…
村人たちをまやかすため… 幻の霧で、村を閉ざしておるのじゃ

あれ、とは霧ごもりの貴人のことである
霧ごもりの貴人は、幻の霧で村を閉ざしている
目的は村人たちをまやかすためである

まやかす、とは何を意味するのか


籠かぶりの正助

籠かぶりの正助の証言によれば、神主は「ミヤコビト」になるためのを村人に振る舞うという

正助:神主さまが、ときどき、お酒をふるまってくださるんだ

その酒は飲むと、喉が渇くという

正助:ただなあ… お酒を飲むと、喉が渇いちまう
酒樽は、すぐ空になる
仕方なく、みな、池や川の水を啜るんだ
けどなあ、飲めば飲むほど、喉が渇く…

さらに酒を飲むと火を恐れるようになるという

正助:ただ… みな、火を怖がる
頭がぼうっとしてる時は… おらも、そうだった

ただし、犬彦にだけは神主も酒をふるまわない

正助:犬彦は、村の鼻つまみ者だ
獣の肉など、食いやがる
だから、神主さまも、あいつにはお酒をあげないのさ

神主は、この村でいちばん偉いお人であり、お社にいるという

正助:神主さまは、この村でいちばん偉いお人だ
川沿いにさかのぼった先、水源に近い、お社にいらっしゃるぞ

その神主の目的は、「みなで、ミヤコビトになる」ことである

正助:「みなで、ミヤコビトになろうぞ」ってな
お酒をたくさん飲めば、ミヤコビトになれるってさあ

神主に「京の水」を渡すと「宮の貴人」と化すことから、「ミヤコビト」とは「宮の貴人」のことである

神主:ようよう、お認めいただける… 末座に加えていただける…

つまり霧ごもりの貴人の目的は、仲間あるいは眷属を作りだすことにある

そのために霧で村を閉ざし、村人をまやかしているのである


廃寺

霧ごもりの貴人が占拠している廃寺には、もとは観音菩薩像が祀られていた

僧侶:もう一度、仏様を、寺に戻して差し上げたいのじゃ…

霧ごもりの貴人を仏敵とまで罵ることから、観音菩薩像を運び出したのは、霧ごもりの貴人である可能性が高い

まやかしが解けた後の廃寺を散策すると、仏像や卒塔婆が穴に捨てられているのがわかる。また、僧侶を殺し逆さに吊してもいる



これらのことから推測するに、霧ごもりの貴人は僧侶ならびに仏に関わるものを排除しなければ霧で村を閉ざすことができなかったのである

なぜならば霧ごもりの貴人は仏教と対立する側の勢力であるからだ

その勢力とは、日本の歴史を鑑みるのならば「神道」である

物部・中臣氏らは「仏神」のせいで国神が怒っているためであると奏上。欽明天皇もやむなく彼らによる仏像の廃棄、寺の焼却を黙認したという。 (崇仏論争 Wikipedia

つまり隠し森ならびに水生村の背後には、神道と仏教の対立の構図が存在するのである

獣の肉を喰らう犬彦に酒が与えられないのは、肉食が神道の戒律に違反するからである
※また破戒僧が宮の貴族つまり神道側に仕えているのは、破戒によって仏教を追放されたからである


神仏習合

水生村はもとは神仏習合の信仰をもつ村だったことが、お社の構造からうかがえる

一階にはしめ縄(神道)と御幣(神道)で囲われた場所に仏像(仏教)が置かれており


二階には神棚が置かれているからである


このように、かつての水生村は神道と仏教が共存していたと考えられる

とはいえ全くの五分というわけではなく、お社の一階に仏像が堂々と置かれ、神棚は二階にひっそりと置かれていることから、仏教信仰がやや優勢だったことがうかがえる

※水生村の最も古い記録に輿入れの岩戸が登場することから、本来的には水生村は神道の村であったのであろう。いつの頃か外部から仏教勢力が侵入し、やがて仏教優勢となっていったのである。これは日本の歴史をそのままトレースしたような流れである

しかしながら、現在は一階にある仏像の頭と腕が破壊される一方で神道に関係するものは保持されている

またお社にいる男が神主であることから、いつの時期からか仏教は廃され神道のみの信仰に移行したらしい

当然ながらその時期は、霧ごもりの貴人が到来した時期と同一であろう

神道を携えて到来した霧ごもりの貴人は仏教を廃し、水生村ならびに隠し森から仏教に関連するものを排除したのである。まやかしを使うためには、仏の力が邪魔だったからである



では仏教側は霧ごもりの貴人による廃仏毀釈の完全なる被害者といえるのかというと、一概にそうとは言えないのである

以下は隠し森の僧侶を拡大した画像である


僧侶の頭部や身体にある痣のようなものに見覚えはないだろうか

そう、仙峯寺の死なずの求道者たちにあるものと酷似しているのである

これが隠し森の僧侶が生きている理由である。蟲憑きではないので完全なる不死ではないものの、死なずの求道者と呼ばれる程度には、死なないのである

僧侶が死なずの求道者であるのならば、蟲に関する知識も持ちあわせているはずである

以下は水生村にある桜の根本付近の画像であるが、幹の一部が大きく膨らんでいるのがわかる


虫こぶである(Wikipedia)


霧ごもりの貴人(神道)が水生村に「ミヤコビトになる酒」を持ち込んだのと同様に、死なずの求道者(仏教)もまた「」を持ち込んだのである

赤い布に張られたセミや水底に棲むナメクジといった蟲は、死なずの求道者が持ち込んだのである

セミは蝉と書き「虫偏」であるように、ナメクジもまた蛞蝓と書き「虫偏」である

さて、蟲に憑かれた者は不死となる。同様に蟲に憑かれた桜も不死となったのである。水生村の桜が咲いているのは、それが常桜だからなのではなく、「蟲に憑かれた桜」だからである

※お社の二階に桜の枝が祀られているのは、それが蟲に汚染されていない清浄な桜の枝だからである

このようにして水生村に仏教が広まると共に、蟲も広まっていったのである

そこへやって来たのが、霧ごもりの貴人である
彼が水生村を霧で閉ざした理由は明らかである。蟲に汚染された水生村を再び自らの陣営に引き入れるためである

水底にいる完全なナメクジとは別に、赤い布に張られたり三方に載せられた「ナメクジ魚」が見つかるが、この形状は「蟲」「魚」変貌する吉兆であり、そうであるがゆえに捧げられているのである


端的に言って、貴人にしろ僧侶にしろ、村人の側から見れば「ろくなもんじゃない」のである。これは宗教に対する強烈な皮肉であり、こうした聖職者への冷たい視線はソウルズボーンを通して貫かれているものである



魚 vs 蟲

神道と仏教の皮を被った「魚」と「蟲」の争いは、水生村以外でも見受けられる。源の宮の湖底にいる魚骨を這う虫もその延長線であるし、「まこと貴き餌」がヌシを殺すのも、背後に「魚」と「蟲」との闘争があるからである

ミヤコビトになる酒を飲んだ村人が、火を恐れるように、葦名の赤目もまた火を恐れるという。これは、道順による変若水実験が「魚」の側に属することを表わしている。道順が鯉の赤目玉を求めたのも、そのためである

おそらく道順はもとは死なずの求道者側、つまり蟲を使った不死実験に携わっていたと思われる。その名残りが捨て牢の奥にある仙峯寺への直通昇降機なのである。しかし蟲による不死実験に限界を感じた道順は、やがて蟲と決別し魚の側に宗旨替えしたのである

そうして生まれたのが葦名の赤目なのである

道順がたどった蟲から魚への移行は、水生村と同じ構造である

また魚と蟲との対立は、藤原秀郷の物語にある「竜と大百足」の闘争と同じ構造である

※鯉は年を経ると竜になる



桜竜

そして蟲も魚もそのをたどれば、桜竜に行き着くのである
桜竜から直接的に両者が発生したかどうかは、この考察では触れない

しかしながら、桜竜が葦名の地に根付いたことが原因(あるいは遠因)で蟲と魚が生まれ、葦名の人々は両者が同源である事も知らずにその争いに巻き込まれているのである

※巻き込まれているどころか、ある層の人間たちは蟲と魚を旗印に勝手に代理戦争を繰り広げており、その旗手は両勢力とも聖職者なのである(神主と僧侶)



蛇足

二度ほど頓挫した水生村の考察である
今回はあまり論を飛躍させず、なるべく水生村の現況から離れないように論じたものである。とはいえ最後の方はやや飛躍気味かとも思う

魚と蟲の闘争という観念は水生村を観察することで得られたものであり、こう考えると「水生村の桜」や「ナメクジ魚」を説明できるなと思ったので書いてみたものである

さらにこの対立が葦名をも貫いていると考えると、「まこと貴き餌」や「変若水実験」、「仙峯寺」と「宮の貴人」との関係も解き明かせるかと思い、やや脱線してみたものである

なお魚と蟲の闘争が、そのまま藤原秀郷の物語に描かれる竜と大百足との闘争とに比定できることは、最後の方でようやく気付いた

10 件のコメント:

  1. こうしてみると水生村の住人達には得が全くなく本当に災難ですね

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    1. 桜竜到来以後の葦名の地そのものが、水生村の規模を拡大したような状態かと思います
      あるべきでない場所に、あるべきないものがあると、いろいろと歪むのでしょうね

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  2. くすぶり松脂のテキストや村全体の造形、村人の出で立ち等を考慮すると、水生村は嘗てたたら製鉄を行っていたのではないかと思うんですよ。
    ところが変若水の影響で村人は火を忌むようになり、たたら製鉄が廃れてしまった。
    考察13 不死斬りにおいて、製鉄集団に触れられていましたが、水生村こそがその製鉄集団なのではないかと思います。

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    1. 水生村を見て回りましたが、たたら場という印象は受けませんでした。たたら製鉄が行われていたとすると、周囲の樹木はもっと少ないかと思われます。また水生村という名前も、製鉄にはそぐわないかなと
      ただし、かつて大蛇がいたこと、水があることなどから製鉄の条件は揃っている気がします

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  3. 水生村には蟲と竜以外には実はもう一つ勢力があったのではと思います。村の入口や屋上の鉤縄ポイントには白蛇の皮(らしきもの)が吊るされています。白蛇は土地神であり、水や草木に宿る小さき神々(蟲)や外来種の竜とはまた異なる種の神で(実際ゲーム内でも葦名城の外れにはの社があったり土着信仰の神だと思われる)。つまり水生村は蛇(元の神)VS蟲(僧が持ち込んだ)VS竜(神主が持ち込んだ)の古戦場跡だったのではという考えです。

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    1. 記紀(古事記と日本書紀)などを読んでいますと、蛇体の神が多く登場します
      八百万の神を唱える神道では、蛇の巨大なものも神として数えられるんですね

      本来しめ縄は「二体の蛇が絡み合った姿」を模したという説もあり、蛇というのは何よりも神道の神を象徴している生物だと思われます

      また「白蛇への輿入れの儀」と「水生の輿入れの儀(仙郷渡り)」の類似性を見ても、白蛇は神道の系統に属する神なのではないか、というのが私の考えです

      ただ同じ神道でも、水生の御初代が信奉していたそれと、神主ならびにミヤコビトが信奉しているそれとは、性質が変容してしまっている気がします
      その意味では、白蛇と竜(魚)は本質的に相容れない存在になってしまっているのかもしれません

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    2. ですね。私も蛇は神道系の神ではあるが竜が代表する神道系統とは全く違う勢力ではないかと考えています。
      話がずれますがもし帰郷が全て竜の計画ならその過程に蛇柿が必要というのは竜さん中々にえぐい事するんですね...

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  4. 一点、気になる事があります。神道では元々肉食は禁じられておらず、むしろ仏教が肉食を禁じてます。犬彦に酒が与えられ無いのは、肉食が理由で無く、別の理由かも知れません。(くすぶり松脂のせいで、神主が火を嫌ったとか)

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    1. 水生村は「ミブは水生。水が生まれることを指す 葦名衆にとって、源の水は、
      それ自体が詣での対象なのだ」(品寄せのミブ風船)とあるように、葦名の人々にとっては聖地に近い場所だと思います

      そうした神聖な場所において、肉食(獣喰い)は神道の「物忌み」の意味からも忌避されたのではないかと考えます

      獣の血を流すことも、それを喰らうことも「穢れ」に通ずることから嫌われていたのかもしれません

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    2. こちらでの考察をここまで読んだ上での思いつきなのですが、肉を食う=蟲が憑く可能性がある。故に犬彦は敵として村から外れた場所に半ば追いやるような場所に住まう事にもなったのではないかなと
      くすぶり松脂などは犬彦が身の危険を感じていたが故に用意していた護身用のアイテムだったのではないかなと

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