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2017年12月8日金曜日

ゼノブレイド2のファーストインプレッション

時代(アイオーン)の皮を被るゼノシリーズ


ゼノブレイド2はまごうことなくゼノギアスの血を継承する作品である
立ち位置的にはゼノギアスの落胤(私生児)と言って良いのかもしれない

それほどに両者はメーカーや時代を超えて相似している(中身ではなく在り方が)
やや乱暴になるが、2017年という時代の皮を被せたゼノギアスがゼノブレイド2である

ゼノギアスの時代

ゼノギアスが発売された1990年代におけるサブカル事情について触れると冗長になるので、
ゼノギアスは当時どのように受け入れられていたのかを少し語りたいと思う

当時のオタク界における最大のコンテンツは「エヴァンゲリオン」であった
少年がロボットに乗って襲い来る謎の敵に立ち向かうのだが、力点が置かれるのはロボットの活躍ではなく

パイロットの少年の苦悩である

このエヴァンゲリオンの影響は絶大で一時期はエヴァ的な作品が量産されたりもした

ゼノギアスもまたそうしたフォロワー作品のひとつだという認識を持って受けとられた
よくいう「エヴァのパクリ」である

確かにゼノギアスは時代の流れに乗り、ゲーム内にエヴァ的な知的遺伝子(ミーム)を無数にちりばめ、
また素材となった元ネタも一方は「死海文書ならびに聖書」であり、ゼノは「グノーシス主義」であり、その時代も地域も似通っているものだった

だがエヴァが単に演出面における最大の効果を狙って「死海文書ならびに聖書」を利用したのに対し、
ゼノギアスは、まず純粋にグノーシス主義的神話のゲーム的(SF的)適用であった

つまり、ゼノギアスはエヴァ時代の皮を被っていたものの、その中身は「ガチガチの神話学的創作物」だったのだ

ゼノブレイド2の時代

さて現代はどうかというと、突出した作品がないもののソーシャルゲームや膨大なライトノベル群がその代わりを果たしていると思われる
いわゆるハーレム、異世界物、ガチャ、使役キャラ(ワーカー)その他諸々である

これら現代的な皮を被っているのがゼノブレイド2である

ゼノブレイド2のラノベ、アニメ的なミームが苦手な人は多いと思う
だが実はそれは、あえて時代の皮を被っているだけであり、ゼノギアスと同様に中身はやはり「ガチガチの神話学的創作物」である

ゼノシリーズのメインテーマ

一言でいうのならばメツが言ったように「私は誰か、どこから来て、どこへ行くのか」である

メツのセリフでもあり、ゴーギャンの絵画で有名な言葉でもあるが実はグノーシス主義的な問いかけでもある

我々は誰だったのか 我々は何になったのか。
我々はどこにいたのか、我々はどこに投げこまれたのか。
我々はどこに向かうのか、我々はどこから解放されるのか。
誕生とは何か、再生とは何か。(テオドトス 二世紀後半)

テオドトスとは二世紀に生きていたグノーシス主義者である

コアクリスタルとは何か

フォトニック結晶のことである

要するに光を集積できる結晶である
情報理論によればあらゆる物質は情報の側面があり、それは光(光子)も例外ではない

例えるのなら結晶で作ったHDDのような物であり、同時に半導体(つまりコンピュータ)として利用できる結晶のことだ

人間が脳の加齢を乗り越えて永遠に生きようとするのならば、脳ではない別の物質にその機能を移転しなければならないが、
その脳代替デバイスとして最適なのが、このフォトニック結晶である(そのあたりファイブスター物語でも使われていたが)

先ほども述べたように情報と物質は等価であり、ゆえにコアクリスタルは雲海の海において情報を物質に転換するのである(J・G・バラードの『結晶世界』の逆相転移)

ブレイドとは何か

具現化した人工知能(AI)のことである
単体で機能する結晶プロセッサであるコアクリスタルは、情報と物質の等価性により情報からAIを具現化する
具現化の際にドライバの関与を必要とするのは、それがユーザー認証のメカニズムによって起動するからである(ユーザーの資格を持たない者は拒絶される)

もっと身近な例でいうと、ポケモンでありサーヴァントであり、スタンドである
(このあたり、巨大ロボットからスタンド型への流行の変遷を考えさせられる)

さてこうして具現化したAIはロボット三原則の適用を受けると思われる
(作中でブレイドが人を害するが、コアクリスタルからすると人類とはドライバのみであって、その他の人間は人類と認識されていないのかもしれない。このあたりまだ考察が及んでいない)

しかし基本的には三原則の適用を求められると思われる
ゆえに「ブレイドがドライバを喰らう」という行為はブレイドにとって最大の禁忌となる

人に使えるべく生み出されたロボットは、人に仕えるべく使わされた創世記の天使とも重なる

(人に仕えることを拒否し、神に対して反乱を起こしたのがサタンであり、それを描いたのがミルトンの『失楽園』である)
(蛇足だが『失楽園』におけるサタンのカリスマ性やかっこよさは、シンやメツに通ずるものがある)

プネウマ

ギリシャ語で「息」や「風」を意味するが、聖書的には「霊魂」という語義に近い(神は赤い土人形にプネウマを吹き込んでアダムを作った)

プネウマにはプシュケーという語形もあり、アプレイウスの『プシュケとアモル』という寓話につながる
この『プシュケとアモル』はグノーシス主義的な物語とも言われ、流転する美女とそれを助ける青年の物語は、グノーシス神話における魂の救済の理想的モデルとして考えられる

ここでいう魂とは己のなかにある魂であり、それが美女で表現されるのは、ユング心理学でいうところの「アニマ」であるからだろう(ユング心理学では男性の心のなかにある「少女像」をアニマ、反対に女性の中にある「男性像」をアニムスという)

 アニマは時間の外にいるために、たいてい完全に不死であるか不死に近い
 太古から生きつづけているとか、それとも別の世界の秩序に従う存在である。(『元型論』)
 アニマは善意に満ちた無邪気な人間という楽園に住む蛇である。
 《美にして善なるもの》を信じている
 アニマは保守的であり、気の遠くなるほど古い人類と関係をもっている
 アニマはあらゆる範疇を越えた生命であり、それゆえ毀誉褒貶からも自由である
 アニマは『ファウスト』にあるように、光の天使として「魂の導き手」としても現われ、最高の意味へと導くこともありうる
 アニマとはいわばそれまでは一度もその人の財産になったことのない心的内容(『元型論』)

(ちなみに、魂を意味する語句群「ソウル」「プシュケ」「アニマ」「ゼーレ」「ドゥーシャ」等はみな女性形である)

そしてグノーシス神話において、流転する少女(魂)としてよく使われるのがソフィア(「知恵」)である


ロゴス

ロゴスについては有名すぎてあまり語ることもないのだけれども、神との関わりにおいて少しだけ

神とは永遠に続く創造性であると語ったのが、グノーシス主義的著作である『ソロモンの知恵』の著者である

神とは創造性そのものであり、その意志を実行する神の代行者が必要となる理屈となる
彼はその神の代行者を「ソフィア(知恵)」だとした

一方アレクサンドリアのフィロンは、神の代行者とは「ロゴス(言葉)」であるとした


トリニティプロセッサー

トリニティとは「三位一体」の意味である
キリスト教で「父と子と精霊の御名において」というときの、父と子と精霊のことである
この三位一体のプロセッサーがゲート(ゾハル)を制御するのだという

上で述べたように、コアクリスタルは単体動作するコンピュータであり、トリニティプロセッサーはその元型であろう
おそらく、この三者もまたAIとして機能するプロセッサであり、シンギュラリティ(技術的特異点)を越えたプロセッサである可能性もあるが、ゲート(ゾハル)こそがそれなのかもしれない


後書き

現在、グノーシス関連の書籍が手元になくてほとんど記憶を頼りに書いたのであやふやな点が多いかと思われる
なんらかの著作にあたるということもしていないので、本当に素のままのファーストインプレッションである

以下、すごいネタバレがあるので注意
落下死するマルベーニ聖下




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