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2017年2月8日水曜日

創造神話とダークソウル

ダークソウルのストーリーをひと言で言い表すと「創世神話」の反復となる

宗教学者エリアーデによれば、あらゆる儀礼は、「原初に行われた神々による天地開闢」の模倣、繰りかえしである
プレーヤーの旅は、衰えて活力を失った世界を復活させるための儀礼そのものなのだ
>>「世界を更新する唯一の方法は、かの時に神々がしたことを繰り返し、創造を反復することである」(『エリアーデ著作集、神話と現実』)

新年儀礼
日本では一年の始まりに新年の儀礼を執り行うが、この儀礼は原初に行われた神々による創造の、その模倣である。
そのとき、年は新しくなり、同時に世界は再創造される。

婚姻
婚姻もまたイザナギとイザナミの国産み神話にあるように、天地の創造(天地開闢)を意味する
すてべの婚姻儀礼は宇宙開闢的構造をもつ。

戦争
怪物に対する英雄の勝利は、混沌に対する秩序の勝利を意味し、そのとき世界に今ある秩序がもたらされたのである
バビロニアの正月の儀礼アキーツ祭では、マルドゥクとティアマトの闘いの場面が読誦されたという。

例を挙げていくと切りがないが、要するに神話的な思考において、世界はつねに再創造されるものらしい

では再創造の前の世界の終わりはどういった祭儀で実現されたかというと、エリアーデによれば
>>火を消すこと、死者の魂の帰来、社会的階級の混合、性愛の自由、乱痴気騒ぎ
などだという。これらはみな、秩序(コスモス、宇宙)への混沌(カオス)への帰入を象徴するという
>>歳の最後の日に宇宙は原水の中に融没した。闇、形なきもの、未だ顕れざるものの象徴たる海の怪物ティアマトが復活し、再び脅威を与える。
>>そしてマルドゥックはそれを今一度再創造するために、ティアマトを改めて征服しなければならなかった

なぜ宇宙の再創造を求めるかというと、
>>宇宙創造は神的なものの最高の顕現であり、力、充実、創造性の最も強力な表現である。

なぜDSの主人公たちが火を継がねばならなかったかというと、上記のような事情があるからだ。
衰えた世界を再び活気づかせるには、宇宙エネルギーを象徴する火を絶やしてはならなかった。
火を継ぐことでどうにか終末を先延ばしにしてきたのだが、DS3においてその儀礼も限界を迎えつつある
儀礼は儀礼であって、本物の宇宙開闢ではないからだ。

そこでDSの世界の人々は、火を継ぐ以外の方法を求め始めた

植物
>>宗教的人間にとっては、植物のリズムのなかに生命と創造の秘密、また同時に復活、青春および不死の秘密が啓示される
周期的な宇宙再生の奥義を、樹木のなかに見出そうとした者たちがいた。呪腹の大樹、巡礼の蝶、巡礼者。


>>水は可能性の総体を象徴する。それは一切の存在可能性の源泉であり、貯蔵タンクである。すなわち水はあらゆる形態に先立ち、あらゆる創造を担う。創造の一つの原型は、大水のなかに突如顕現する島である。逆に水中に沈むことは無形態への回帰、存在以前の未分の状態へ戻ることを象徴する
付け加えることもないが「深海の時代」のことだろうか。エルドリッジは水に世界の再創造を見出した、のかも。


>>この天の象徴はまた多数の祭儀(上昇、梯子のぼり、成年式、即位式)、神話(宇宙の木、宇宙の山、天地を結ぶ矢の鎖)および伝説(魔法の飛行)に生命を与え、かつそれらを支える。
天の神聖性に活路を求めたのが無名の王なのかもしれない。飛竜に乗り(魔法の飛行)、古竜の頂き(宇宙の山)にいる。

偽王(モック・キング)
世界を再創造する直前に、社会階級の混濁を引き起こすための儀礼が存在する
>>サトゥルヌス祭の期間中、奴隷は主人となり、主人は奴隷に仕える。メソポタミアでは、王が王位を追われ、辱められる
>>(『エリアーデ著作集、聖なる空間と時間』)
偽王につくのは多くは奴隷で、期間中、奴隷は王と同じ振る舞いを許された
祭りの終わりに、偽王は処刑され、その死によって秩序が復活(世界が再創造)される。

奴隷騎士の正体がよくわらかないが、あえて「奴隷」とへりくだった階級を名乗るところを見ると、何か思惑がありそうな気が

その他
おそらく絵を描くことも世界の再創造の象徴。
生地を織る行為も創造的行為。織姫が登場してないのが気になる。
卵もまた創造の象徴。DLC2で王妃らしき女性が卵を持っているのもそういう文脈だろう

罪の都については、考察不足。神官が仮面をつけてるから、あれは「死者」を表すのだと思う。
となると罪の都は冥界、罪人の行く地獄を示し、巨人ヨームは閻魔大王(もっと古くヒンドゥーのヤマ)なのかも
そのヤマといえば、巨人で、人類の祖であり、「最初の死者」なので……ニト?

終わりに
思いつくままに書いていたらぐだぐだに

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